FC2ブログ

*All archives* |  *Admin*

2021/04
<<03  1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30  05>>
1998-1999 イタリア留学㊱最終話
※20年近く前の写真のネガを見つけたことをきっかけに当時を綴ります※
(記憶がすでにあいまいなので、思い違いしている部分もあるかもですが・・・・)
「1998-1999 イタリア留学」の記事はこちらで過去分が見られます。
☆1998-1999 イタリア留学記事/過去分

----------------

いや~、休み休み綴ってきた「1998-1999 イタリア留学」も最後です。

帰国の数日前に出会った日本人女性。
ご実家がアンティークを取り扱っているとかで勉強にイタリアに来ていると言っていたような。

1998_1999イタリア留学

短期間でしたが何度かフィレンツェを散策しました。

1998_1999イタリア留学

今となってはどういうきっかけで知り合ったのかも名前も思い出せませんが。。。。

1998_1999イタリア留学

そして唐突にフィレンツェ最後の夜の集合写真。

1998_1999イタリア留学

大家さんのNovellaがお友達を招いて送別会をしてくれました。
当時はイタリア人の中に1人でいても会話はまぁまぁ成立していたのかな(笑
(まぁ、そりゃそうか。語学留学してるんだから)

いまじゃ、すっかり忘れてしまいましたが。

今回、こうして記憶を辿ってみて実感したのは、
いつまでも覚えていると思っていたことのほとんどが忘れてしまっているという現実・・・・

ヤバイ・・・・歳とるってこういうこと?(汗
ひゃ~。

もう一つ実感したのは今のようにデジカメで写真撮り放題ではない時代に、結構写真を撮っていたなぁ。ということ、
その場で撮って写りを確認できない時代ですよ。フィルムは日本からかなり持参しました。
現像料もばかにならなかったことでしょう。

いまは本当に便利。
しかもネガをスキャナーで取り込んでパソコンに保存できるなんて。

いくら現像しても焼いてしまうと色があせるから、今回こうしてスキャンできたことは
今後の色あせを防ぐということで何よりも意味があった。

9カ月の留学でしたがとても有意義な時間を過ごしたと思います。
今の実生活でなにも活かせてないけど・・・

でも親兄弟のいない異国の地で1人でいろいろ考えて行動して、
時には自分に向き合って自問自答する。
そんな時間は長い人生の中で絶対に必要だし、意味があると思います。

もう1度、ひと月でもいいからイタリアに住んで現地の人の生活を体験したいものです。

長い長い「1998-1999 イタリア留学」記にお付き合いありがとうございました。

BlogRankingBanner

スポンサーサイト



1998_1999イタリア留学㉟
※20年近く前の写真のネガを見つけたことをきっかけに当時を綴ります※
(記憶がすでにあいまいなので、思い違いしている部分もあるかもですが・・・・)
「1998-1999 イタリア留学」の記事はこちらで過去分が見られます。
☆1998-1999 イタリア留学記事/過去分

---------------- 
おっと、2016年も丸半年が過ぎました!今日から7月ですね。
今夏は暑さが厳しそうだ・・・・


エルバ島は大小のビーチがあって、それぞれが美しい。
全部回りたいけど徒歩では無理。

最初のビーチで泳いでランチをしに街へ。

1998_1999イタリア留学

どこで食べたのかもう忘れてしまったし、写真もないけど昼間から冷えた白ワインがおいしかったのは記憶しています。
腹ごしらえができたら街を散策。

1998_1999イタリア留学

ネットで調べてもよくわからない教会。

1998_1999イタリア留学

ちょいと上のほうまで行ってみました。

1998_1999イタリア留学

のどかな昼下がり。

1998_1999イタリア留学

行きはよいよいで、帰りのフェリー&鉄道は長く感じて疲れました(笑)

でももし、また行くことがあれば今度は1泊したいなぁ~。

1998_1999イタリア留学㊱最終話に続きます。


BlogRankingBanner
1998_1999イタリア留学㉞
※20年近く前の写真のネガを見つけたことをきっかけに当時を綴ります※
(記憶がすでにあいまいなので、思い違いしている部分もあるかもですが・・・・)
「1998-1999 イタリア留学」の記事はこちらで過去分が見られます。
☆1998-1999 イタリア留学記事/過去分

---------------- 

だいぶ間が空きました。。
イタリア留学のアルバムも最後の1冊となりました。

1998年の9月に渡伊して1999年の6月頭に帰国しました。
最後の1冊は1999年5月のお話です。

週末を利用しての遠出。この時はR子さんともう1人(名前失念・・・)の3人で鉄道とフェリーを使っての移動。

1998_1999イタリア留学

お天気にも恵まれて5月というのに暑かった。

1998_1999イタリア留学

フェリーの甲板で。

1998_1999イタリア留学

到着したのは「エルバ島」です。
(日本じゃ絶対こんな格好で歩かない。笑 )

1998_1999イタリア留学

☆エルバ島:イタリア半島とコルシカ島(フランス領)の間に位置し、トスカーナ群島中最大の島である。
ナポレオン・ボナパルトが最初の退位後に追放された地として知られる。

小さな島でとてもかわいらしい。
まずは海へ向かいます。

1998_1999イタリア留学

海岸への道途中にイタリア軍の寄宿舎があって自分たちよりも年下の若い子たちが窓からヒューヒューと口笛吹いてからかってきました。

海はこれまで見たことないほどに透明で青いきれいな海です。

1998_1999イタリア留学

石がまた白い!(うちの田舎の海も青いけど砂浜なのでこんなに澄んでいない)

1998_1999イタリア留学

写真はアップしないけど、人生最初で最後のビキニ姿で泳ぎましたよ(笑)
ちょうど昼休みに引っかかって、さきほどのイタリア軍の若者たちも海水浴に来てにぎやかでした。

1998_1999イタリア留学

1998_1999イタリア留学㉟

BlogRankingBanner

1998_1999イタリア留学㉜
※20年近く前の写真のネガを見つけたことをきっかけに当時を綴ります※
(記憶がすでにあいまいなので、思い違いしている部分もあるかもですが・・・・)
「1998-1999 イタリア留学」の記事はこちらで過去分が見られます。
☆1998-1999 イタリア留学記事/過去分

------------- 

語学学校の遠足で訪れたRiomaggiore(リオマッジョーレ)

1998_1999イタリア留学

カラフルな建物がたくさん。
海沿いの建物ってカラフルなところが多い気がする。

ブーゲンビリアがきれいでした。

1998_1999イタリア留学

にゃんこもいて観光客は多いものの、のんびりした雰囲気の町。

1998_1999イタリア留学

みんなで海の見えるレストランでランチの後、さらに散策です。

1998_1999イタリア留学

若いなぁ~(笑

1998_1999イタリア留学

語学学校はイタリア近隣の国からバカンスで来られている年配のご夫婦もいらっしゃって、彼らも遠足に参加していました。

1998_1999イタリア留学

ニコニコ、Lorenzo(ロレンツォ)先生についていきます~。

1998_1999イタリア留学

ちょっと暗いけど崖っぷちの遊歩道のトンネル。
1998_1999イタリア留学

お天気も良くて気持ちの良い遠足でした。

1998_1999イタリア留学

今思えば、もっともっと日帰りでいろんなところへ行けばよかったなぁ。

帰りはRiomaggiore(リオマッジョーレ)のお隣の駅、Manarola(マナローラ)まで歩いてそこから列車に乗りました。

1998_1999イタリア留学

☆Manarola(マナローラ):イタリア共和国リグーリア州ラ・スペツィア県のコムーネ(基礎自治体)であるリオマッジョーレに属するフラツィオーネ(分離集落)。リグーリア海岸に位置するチンクエ・テッレと呼ばれる景勝地・観光地の集落の一つであり、世界遺産にも登録されている。

(Wikipediaより)

1998_1999イタリア留学㉝へ続きます。

BlogRankingBanner
1998_1999イタリア留学㉛
※20年近く前の写真のネガを見つけたことをきっかけに当時を綴ります※
(記憶がすでにあいまいなので、思い違いしている部分もあるかもですが・・・・)
「1998-1999 イタリア留学」の記事はこちらで過去分が見られます。
☆1998-1999 イタリア留学記事/過去分

-------------

フィレンツェで通った語学学校は「Accademia del Giglio」という学校でした。
☆Accademia del Giglio:https://adg.it/

シエナにいるときにフィレンツェへ語学学校探しに来て見つけた学校。
シニョーリア広場に近い場所にあり、下宿先からはドゥオーモまでバスでそこからは徒歩10分くらいだったかな。

今では考えられない(イタリア語で交渉なんて)けど、自分で学校側と交渉して
本来、文法1時間半+会話1時間半がセットのところを会話のみにしてもらい学費も半分にしてもらいました。
そして下宿先も探してもらうようにお願いしました。

どちらも快く受けていただき、晴れて4月からフィレンツェで語学学校生活となったのでした。

アットホームな学校で遠足もありました。

1998_1999イタリア留学

この日はピサで鉄道を乗り換えて、

1998_1999イタリア留学

Riomaggiore(リオマッジョーレ)という海沿いの街へ。

1998_1999イタリア留学

☆「Riomaggiore」:リオマッジョーレ(Riomaggiore)は、イタリア共和国リグーリア州ラ・スペツィア県にある人口約1700人の基礎自治体(コムーネ)。リグーリア海岸に位置するリオマッジョーレの本村とマナローラの集落はチンクエ・テッレと呼ばれる景勝地に数えられ、世界遺産にも登録されている。 標準イタリア語以外では以下の名称を持つ。 リオマッジョーレはラ・スペツィア県南部に所在し、リグリア海に面したリグーリア海岸(リヴィエラ・ディ・レヴァンテ)に位置する。チンクエ・テッレを含むコムーネの中では最も東南にあるコムーネで、県都ラ・スペツィアから西へ7km、ポルトヴェーネレから北西へ9km、レヴァントから南東へ13kmの距離にある。
(Wikipedeiaより引用)

駅が崖っぷちにあるのですぐ下が海です。

1998_1999イタリア留学

まるで映画「Il Postino(イル ポスティーノ)」に出てきそうな、小さな漁師町って感じ。
(「Il Postino」:http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=28682

1998_1999イタリア留学

同じ語学学校の上級レベルにいた日本人の女性と(スミマセン。。。名前をすっかり失念)

1998_1999イタリア留学

語学学校のLorenzo(ロレンツォ)先生と。

1998_1999イタリア留学

彼はいつもニコニコ。新婚ほやほや。

アマルフィやポジターノみたいに崖に密集して家が建っている。

1998_1999イタリア留学

小さな街だけど観光客がわんさと訪れていました。

1998_1999イタリア留学

さすが世界遺産に登録されるわけだ。

1998_1999イタリア留学㉜へ続きます。

BlogRankingBanner

1998_1999イタリア留学㉚
※20年近く前の写真のネガを見つけたことをきっかけに当時を綴ります※
(記憶がすでにあいまいなので、思い違いしている部分もあるかもですが・・・・)
「1998-1999 イタリア留学」の記事はこちらで過去分が見られます。
☆1998-1999 イタリア留学記事/過去分

----------------

残り少なくなってきました。
帰国まであと1か月。。。。

後回しになってしまったけど、訪れてみたかった「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の生まれ故郷ヴィンチ村。
彼の生家を見たとは「レオナルド・ダ・ヴィンチ博物館」へ。

1998_1999イタリア留学

中には彼のスケッチや構想したいろんな機械の模型や図面がたくさんありました。

1998_1999イタリア留学

もともと美大卒なのでこういう図面を見るだけで面白い。

1998_1999イタリア留学

模型なんかは自分も作っていたので興味深いし。

1998_1999イタリア留学

1998_1999イタリア留学

あの当時に「空を飛ぼう」って思って、こういうことをよく考えるなぁ。

1998_1999イタリア留学

教科書で習ったものやテレビや本で見たようなものが所狭しとありました。

にゃんこにも出会いました。

1998_1999イタリア留学

一通りを見て回った後はお茶しました。

1998_1999イタリア留学

このころはR子さんとこのお2人といることが多かったかも。
(それなのに、このお2人の名前を思い出せない・・・・)

1998_1999イタリア留学㉛へ続きます。

BlogRankingBanner

1998_1999イタリア留学㉙
※20年近く前の写真のネガを見つけたことをきっかけに当時を綴ります※
(記憶がすでにあいまいなので、思い違いしている部分もあるかもですが・・・・)
「1998-1999 イタリア留学」の記事はこちらで過去分が見られます。
☆1998-1999 イタリア留学記事/過去分

----------------

このころはイタリア滞在の期間が少なくなってきたので、近郊の小さな街へよく足を運びました。

これは、フィレンツェの中心からちょっと山手へ上がったフィエーゾレだったと思います。

1998_1999イタリア留学

たばこの自販機に入っているたばこの見本が小さいので「イタリアのたばこって小さい」と言ったら、
出てくるのは通常サイズだよ。と笑われました。

1998_1999イタリア留学

別の日は鉄道とバスを乗り継いで、レオナルド・ダ・ヴィンチの出身の地へ。

雨上がりだったのでしょう。
1998_1999イタリア留学

ちょうど真っ赤なポピーが沿道に満開でした。
1998_1999イタリア留学

地球の●き方片手に載っている道を歩きましたが、「これでいいの?」というくらい、舗装もされていないオリーブ林の中です。

1998_1999イタリア留学

R子さんほか、4名でなんだかんだ言いながらやってきました「ヴィンチ村」

1998_1999イタリア留学

どうしても来たかったんです。帰国前に。

☆レオナルド・ダ・ヴィンチの生家

1998_1999イタリア留学

というのも、それまでに何度か行った前世占いで「宮廷画家」「科学者」というキーワードがあったのと、
美大に入学しイタリア語に出会い、こうしてイタリアに何度も訪れているので、もしかして私は昔、
イタリアにいて、レオナルド・ダ・ヴィンチの近くにいたのかも?!な~~~んて大それたこと考えたから。(笑)

1998_1999イタリア留学

だから「ヴィンチ村に行けばなにか感じるかも!」と期待に胸膨らませていきましたが、
何も感じませんでした(笑)

今度は舗装された道を上がっていきます。

1998_1999イタリア留学


1998_1999イタリア留学㉚へ続きます。

BlogRankingBanner
1998-1999 イタリア留学㉘
※20年近く前の写真のネガを見つけたことをきっかけに当時を綴ります※
(記憶がすでにあいまいなので、思い違いしている部分もあるかもですが・・・・)
「1998-1999 イタリア留学」の記事はこちらで過去分が見られます。
☆1998-1999 イタリア留学記事/過去分

----------------

1998年9月からのイタリア留学も余すところあと1か月半ほどのころ。
慶応義塾大学付属の外国語学校 イタリア語コースで知り合ったR子さんがフィレンツェへ。
短期留学のためにやってきた。

以前彼女がホームステイしていたお宅に今回もホームステイをお願いしており、
OKをもらっていたはずなのに、手違いで入れず。

彼女の宿探しをお手伝い。

なんとか金額的にも町の中心からの距離的にもOKな宿を見つけた。
(ちょっと大通りに面していてうるさかったようだけど)

それから数日後、一緒にオルヴィエートといウンブリア州の小さな街へ出かけた。

オルヴィエートの町は大地から隆起した凝灰岩の自然の城壁に囲まれており、この美しく特異な風景の他、古代エトルリア時代には隆盛を栄えたという歴史、街並に残る中世の面影、そして何よりもゴシック建築の宝石とも呼ばれるドゥオモの存在が、オルヴィエートをイタリアの町の中でも、最もユニークで興味深い町の一つにし、世界的に有名な町へとしました。

1998_1999イタリア留学

☆突き当りに見えるのがドゥオモ(大聖堂)

1998_1999イタリア留学

☆サント・アンドレア教会

1998_1999イタリア留学

柱廊と12角形の鐘楼がある1400年代のロマネスク・ゴシック様式の教会。
発見された地下室では、ヴィッラノーヴァ時代から中世にかけて見られる構造と出土品が見つかった。

小さな街ですがどこも絵になる。

1998_1999イタリア留学

☆サン・パトリツィオの井戸(の外観・・・・)

1998_1999イタリア留学

世界的に有名な『聖パトリツィオの井戸』ですが、中の写真がない。

なぜ?

あれもしかして中まで入ってないの?記憶があいまい・・・・汗

どんな井戸なのか、説明だけ。

*****

有名なこの井戸は、法王クレメンテ7世(ジュリオ・デ・メディチ)の命によって造られた。当時クレメンテ7世は1527年の『ローマ略奪』から逃れるためオルヴィエートに避難しており、攻城に備えて水を確保するためにこの井戸を掘らせたといわれる。

設計はフィレンツェの建築家アントニオ・ダ・サンガッロ・イル・ジョーヴァネに任された。井戸が完成したのは工事開始から10年後の1537年、法王パオロ3世(アレッサンドロ・ファルネーゼ・ディ・ローマ)の時代である。 凝灰岩をくり抜いたこの井戸は、深さ62メートル、幅13~14メートル、248段の二つのらせん階段が水管の回りを囲んでおり、一つは水を汲みに降りる用、もう一つは水を地上に運ぶ用と、二つの階段がぶつからないように設計されている。

62メートルにも及ぶ井戸に降りる経験は珍しく、下からの眺めは実に幻想的である。 イタリアでは底なしの浪費家のことをこの深い井戸の名前から『サン・パトリツィオの井戸のような懐をもっている』といいます。

(AMOITALIAより転記 http://www.amoitalia.com/orvieto/turismo.html
*****

なぜ、オルヴィエートへ行ったのか。
それは単純で、オルヴィエートのワインを日本でよく飲んでいたので町の名前を知っていた。それだけ(笑)

ランチは「ORSO(イタリア語で”熊”)」という名前がユニークなトラットリアで。
1998_1999イタリア留学

帰りにはオルヴィエートの白ワインを購入し、八百屋でアスパラガスを購入。
1998_1999イタリア留学
※この写真、どこかの回の記事で間違って記載したかも※

R子さんの滞在先でアスパラガスの塩ゆでと白ワインで夕飯を食べました。

【おまけ1】
私が間借りをしていたホームステイ先のほかの学生さん「モニカ」と
ギリシアから語学留学してきていた。とても明るくてかわいい子だった。
1998_1999イタリア留学

【おまけ2】
フィレンツェの街を歩いているとき「絵のモデルしない?」と声をかけてきた彼。
油絵、彫刻の作家さん「Gabriele Mossa」さん

1998_1999イタリア留学

記念になるなと思って描いてもらいました。

1998_1999イタリア留学

報酬は現金はお断りした。描いている最中にイタリア人と会話できるのなら、語学学校よりも有意義だから。
それにモデルの途中でコーヒーなどデリバリーしてくれたり、夕食も連れていってくれた。

あと、ヴェネツィアのカーニバルで使う仮面の作り方を観光客などに有料で教えているのに無料で教えてくれた。

その時作ったのがこの太陽。(目の部分に切り込みを入れればお面になる)

1998_1999イタリア留学

今現在の自宅にもずっと飾ってあります。

懐かしいなあ。

彼のサイトを見つけました。
ご興味のある方はご覧ください。

http://www.gabrielemossa.it/

1998-1999 イタリア留学㉙へ続きます。

BlogRankingBanner



1998-1999 イタリア留学㉖
※20年近く前の写真のネガを見つけたことをきっかけに当時を綴ります※
(記憶がすでにあいまいなので、思い違いしている部分もあるかもですが・・・・)
「1998-1999 イタリア留学」の記事はこちらで過去分が見られます。
☆1998-1999 イタリア留学記事/過去分

----------------

ナポリで1泊、アマルフィで1泊の翌日~。

ソレントです。

1998_1999イタリア留学

ソレント?聞いたことある?
そう、「帰れソレントへ」のソレントです。

☆「帰れソレントへ」:


この曲は1902年9月15日にソレントを訪れた、
時の首相ジュゼッペ・ザナルデッリのために作曲された。
市長は賓客のための曲を、ジャンバッティスタ・デ・クルティス(作詞)と
エルネスト・デ・クルティス(作曲)の兄弟に要請した。

後の1961年にエルヴィス・プレスリーが「サレンダー」と言うタイトルで
英詞で歌ってアメリカでもNo.1を獲得するヒットとなった。
(ウィキペディアより引用)

ここも高級リゾート地。ここから「ソレントジェット」に乗れば青の洞窟のあるカプリ島へ行けます。
この時はいきませんでしたが。

いろんなお店の並ぶ通りを散策。

1998_1999イタリア留学

アマルフィからどうやってソレントへ移動したのかは、覚えていません(笑)
多分、バス?

ちょうど、昼食時でいろいろ店を見て回りましたが、やはりリゾート地は高い!
確か高いのは仕方ないので、適当にお店に入ってパスタ1皿を食べたように思います。

海もきれい。
1998_1999イタリア留学

この日は移動日でこの後、M子さんの住んでいるモンテプルチアーノまで行きます。

1998_1999イタリア留学

だからソレントは昼食をとって少しだけ散策。

1998_1999イタリア留学

ソレント駅へ向かいます。

1998_1999イタリア留学

駅前はパスクア(イースター)の飾り付け。

1998_1999イタリア留学

ヴェスヴィオ周遊鉄道でソレントからナポリへ移動です。

1998_1999イタリア留学

☆「ヴェスヴィオ周遊鉄道(Circumvesuviana鉄道)」:
1890年から存在するイタリアの交通会社である。
現在、ナポリ県とアヴェッリーノ県の一部(アヴェッラとバイアーノ)、
サレルノ県のスカファーティとサン・ヴァレンティーノ・トーリオ、サルノで営業している。
日本語ガイドブックなどでは、「ベスビオ周遊鉄道」等とも記述されている。
(ウィキペディアより引用)

1998-1999 イタリア留学㉗へ続きます。

BlogRankingBanner
1998-1999 イタリア留学㉕
※20年近く前の写真のネガを見つけたことをきっかけに当時を綴ります※
(記憶がすでにあいまいなので、思い違いしている部分もあるかもですが・・・・)
「1998-1999 イタリア留学」の記事はこちらで過去分が見られます。
☆1998-1999 イタリア留学記事/過去分

----------------

アマルフィからポジターノへ連絡船で移動。

1998_1999イタリア留学

崖にカラフルな家々がぎっしりとひしめき合うように建っています。

屋上の床にはかわいらしいタイルが貼られていて、日光浴を楽しめるようになっています。

1998_1999イタリア留学

夏には世界各国から観光客が押し寄せるんだろうなぁ。

細道を通るバスはミニサイズ。
1998_1999イタリア留学
※写真が左右反転・・・・直す気力なし。。。。※

教会もミニサイズ。
1998_1999イタリア留学
※写真が左右反転・・・・直す気力なし。。。。※

やっぱり崖っぷちなので床面積が広く確保できないから建物も小ぢんまりするんでしょうね。

またまた海岸へ降りてみました。(帰りが大変!)
1998_1999イタリア留学
※写真が左右反転・・・・直す気力なし。。。。※

巻貝のような建物群。
1998_1999イタリア留学
※写真が左右反転・・・・直す気力なし。。。。※

ここは宮崎駿監督の「天空の城ラピュタ」のモデルになったとか。。。。
言われてみれば、確かになぁ。

1998_1999イタリア留学
※写真が左右反転・・・・直す気力なし。。。。※

さて、降りてきたのなら昇らなければ帰れません。

1998_1999イタリア留学

えっちらおっちら、細い階段を上がっていきました。

帰りはアマルフィまでバスでしたが海岸線をクネクネとバスが走るので、
車酔いをしてしまいました・・・・

御夕飯をと思っても気持ち悪いし、レストランはバカ高いしで、
M子さんはBarでサンドイッチを購入。

私は閉店準備中のお店でイチゴを見つけて買おうと思ったら、
店のお兄さんが「レジ〆ちゃったからもう売れないよ」と・・・・

え~~~~。
車酔いして気持ち悪いけど、イチゴなら食べられると思ったのに。と話すと、
なんとお兄さん、イチゴのパックを私に差し出して
「ほら、もってけ!代金はいらないよ。レジ〆たから」と。

ぶっきらぼうだけど、親切にもくれたのでした。

そして夜は温かいシャワーに寝心地の良いベッドでぐっすりでした。

1998-1999 イタリア留学㉖へ続きます。

BlogRankingBanner



★本ブログについて★

まず、こちらをお読みください

読んでね♪
☆訪問者数☆
ようこそ、いらっしゃいませ!
☆ブログランキング参加中
☆1日1クリックお願いします★
プロフィール

Quadrifoglio

Author:Quadrifoglio
四つ葉のクローバへようこそ!

自身が撮った写真を紹介させていただきます。
photolibraryとリンクしております。
お気に召した写真はご購入いただけます。

リンク
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
写真
871位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
301位
アクセスランキングを見る>>
QRコード
QRコード
ブログランキング
FC2ブログランキング参加中

FC2Blog Ranking

月別アーカイブ
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

検索フォーム
カテゴリ