※20年近く前の写真のネガを見つけたことをきっかけに当時を綴ります※
(記憶がすでにあいまいなので、思い違いしている部分もあるかもですが・・・・)
「1998-1999 イタリア留学」の記事はこちらで過去分が見られます。
☆1998-1999 イタリア留学記事/過去分
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ヴェネツィアに行ったら食事は「アンティカモーラ」と決めています。
1995年の初のイタリア短期留学のとき、ご褒美に日本のイタリア語の先生がヴェネツィアのホテルを予約してくれ、
帰国前に3日ほど滞在しました。
そのとき、リド島のCoopで知り合った日本人女性から「夜、食事に付き合っていただけませんか?」と言われ、私も1人だったので2つ返事でOKして、多少イタリア語がわかる私がお店を探しておくことになった。
で、訪れたのが「アンティカモーラ」でした。
某旅行の手引書「地球の●き方」にも載っていない、ヴェネツィアの繁華街から離れた場所にあるお店で日本人の客はおらず、地元の客かヨーロッパ系の観光客でにぎわっていた。
初めて食べた本場のイカスミパスタがめっちゃおいしくって、生ハムもこの上なくおいしい!
1995年以来、ずっと食事は「アンティカモーラ」なのです。
残念ながらこの時の食事の写真はありませんが、大好きな手長エビのグリルをたらふく食べました。
手長エビは時価なので当時の私には高級品。
でも食べたい!
店主のFrancoに「手長エビが食べたい。でもお財布が寂しい」と言ったら、「Giorgioにいいな。彼が価格を決めるから」と。
Giorgioを見ると「任せとけ」と言わんばかりのウィンク。
で、大皿からたくさんの手長エビのハサミが花のように出た、豪華な1皿を用意してくれました。
8匹を縦割りにしてグリルしたものが大皿にぐるりと乗せられているさまは圧巻でした。(ほかのお客さんがびっくりするくらい)
しかも本当に格安にしてくれ「いいの?」とGiorgioに聞いたら「ほかの客からもらうからいいさ」と。
ほかの客からもらう???は冗談だと思うけど。

※真ん中がFranco、右側がGiorgio※
1995年の出会いからずっと、行くたびに親切にしてくれたFrancoとGiorgio。
2011年に6年ぶりに訪れたとき、Francoが1年前に亡くなったことを知り、大号泣でした。
(その時のことは、こちら)
そしてGiorgioも2013年に訪れたときはお店におらず、リタイアしてしまっていた。
2人がいないのはとても寂しいけど、Francoのあとを引き継いだ娘のSilviaがFranco同様によくしてくれるのでうれしい。
だからこれからもずっと、ヴェネツィアの食事は「アンティカモーラ」なのだ。
食後は再び散策、赤い壁とコートの赤が似ていて撮ったのかな?

混雑を避けて行っていなかったサンマルコ広場のカーニバル会場へ。

夕方近いけどまだまだたくさんの人です。

中世の恰好をしたオジサン、とても似合ってますね。
日本ならちょんまげに羽織袴?

こちらは「ザ・カーニバル」な仮装ですな。(マネキンではないですよ!笑)

記念撮影させてもらいました。

ちょっと現代?

顔にペインティングしてもらう人。

会場は大賑わい。

魚の仮装。

リスもいました。

そしてこんな可愛い子も!

とにかく見るのも参加するのも楽しいカーニバル!
と、浮かれていたらやられました・・・・・

いきなり背後からシェービングクリームを振りかけられ、怒り心頭の顔です。
なぜなら、クリーニングから戻ってきたばかりのコートだったので。
無礼講と言われても、腹が立つ!
でも、お祭りなので気を取り直しました。トホホ。
早朝からずっとヴェネツィアのカーニバルを堪能した一日。
帰りのバスの集合時間、1人だけ帰ってこない。
いつも授業でちょっとういていた子なんだけど、だから余計に「あ~ぁ。」とみんな思っていたようだけど。
どこの国にも時間にルーズな人はいるもんだと思った記憶があります。
帰路はみな爆睡でした。(シエナに到着したのは22時過ぎていたんじゃなかったかな)
1998-1999 イタリア留学⑰へ続きます。

(記憶がすでにあいまいなので、思い違いしている部分もあるかもですが・・・・)
「1998-1999 イタリア留学」の記事はこちらで過去分が見られます。
☆1998-1999 イタリア留学記事/過去分
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ヴェネツィアに行ったら食事は「アンティカモーラ」と決めています。
1995年の初のイタリア短期留学のとき、ご褒美に日本のイタリア語の先生がヴェネツィアのホテルを予約してくれ、
帰国前に3日ほど滞在しました。
そのとき、リド島のCoopで知り合った日本人女性から「夜、食事に付き合っていただけませんか?」と言われ、私も1人だったので2つ返事でOKして、多少イタリア語がわかる私がお店を探しておくことになった。
で、訪れたのが「アンティカモーラ」でした。
某旅行の手引書「地球の●き方」にも載っていない、ヴェネツィアの繁華街から離れた場所にあるお店で日本人の客はおらず、地元の客かヨーロッパ系の観光客でにぎわっていた。
初めて食べた本場のイカスミパスタがめっちゃおいしくって、生ハムもこの上なくおいしい!
1995年以来、ずっと食事は「アンティカモーラ」なのです。
残念ながらこの時の食事の写真はありませんが、大好きな手長エビのグリルをたらふく食べました。
手長エビは時価なので当時の私には高級品。
でも食べたい!
店主のFrancoに「手長エビが食べたい。でもお財布が寂しい」と言ったら、「Giorgioにいいな。彼が価格を決めるから」と。
Giorgioを見ると「任せとけ」と言わんばかりのウィンク。
で、大皿からたくさんの手長エビのハサミが花のように出た、豪華な1皿を用意してくれました。
8匹を縦割りにしてグリルしたものが大皿にぐるりと乗せられているさまは圧巻でした。(ほかのお客さんがびっくりするくらい)
しかも本当に格安にしてくれ「いいの?」とGiorgioに聞いたら「ほかの客からもらうからいいさ」と。
ほかの客からもらう???は冗談だと思うけど。

※真ん中がFranco、右側がGiorgio※
1995年の出会いからずっと、行くたびに親切にしてくれたFrancoとGiorgio。
2011年に6年ぶりに訪れたとき、Francoが1年前に亡くなったことを知り、大号泣でした。
(その時のことは、こちら)
そしてGiorgioも2013年に訪れたときはお店におらず、リタイアしてしまっていた。
2人がいないのはとても寂しいけど、Francoのあとを引き継いだ娘のSilviaがFranco同様によくしてくれるのでうれしい。
だからこれからもずっと、ヴェネツィアの食事は「アンティカモーラ」なのだ。
食後は再び散策、赤い壁とコートの赤が似ていて撮ったのかな?

混雑を避けて行っていなかったサンマルコ広場のカーニバル会場へ。

夕方近いけどまだまだたくさんの人です。

中世の恰好をしたオジサン、とても似合ってますね。
日本ならちょんまげに羽織袴?

こちらは「ザ・カーニバル」な仮装ですな。(マネキンではないですよ!笑)

記念撮影させてもらいました。

ちょっと現代?

顔にペインティングしてもらう人。

会場は大賑わい。

魚の仮装。

リスもいました。

そしてこんな可愛い子も!

とにかく見るのも参加するのも楽しいカーニバル!
と、浮かれていたらやられました・・・・・

いきなり背後からシェービングクリームを振りかけられ、怒り心頭の顔です。
なぜなら、クリーニングから戻ってきたばかりのコートだったので。
無礼講と言われても、腹が立つ!
でも、お祭りなので気を取り直しました。トホホ。
早朝からずっとヴェネツィアのカーニバルを堪能した一日。
帰りのバスの集合時間、1人だけ帰ってこない。
いつも授業でちょっとういていた子なんだけど、だから余計に「あ~ぁ。」とみんな思っていたようだけど。
どこの国にも時間にルーズな人はいるもんだと思った記憶があります。
帰路はみな爆睡でした。(シエナに到着したのは22時過ぎていたんじゃなかったかな)
1998-1999 イタリア留学⑰へ続きます。

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