2015年_年末帰省⑳
元日はおせちを食べたあと、昼過ぎまで寝てしまいました。。。
そのあと、帰京のための荷造りをして発送。
そんなことで、写真が昼以降ありません(笑)
ということで、帰省最終日です。
高知空港へ向かう道すがらいくつか四国八十八か所の札所があります。
その中で一番徳島県よりなのが室戸岬にある「第24番札所 最御崎寺」です。
徳島にいたころから幾度となく訪れており、年末の帰省で高知空港を利用の時は初詣に立ち寄ります。

長い坂道、両親の後ろを歩いていたら父が「前から(母と)2人で歩っきょん撮ってくれ」と。
慌てて二人の前に移動して撮るのですが。。。。

歩くスピードが速い(というか、お互いの距離がそんなに離れていない?)ので
ピントを合わせているうちにフレームアウトしてしまう。。。
「ちょっと~。ほんまに歩いたら撮れん」と私が言うと、何度かやり直し

仕切り直しますが、どうも自然じゃない。
で、歩きながらを撮るけれどぶれる・・・・ 結局父が「もうええわ!」とあきらめた(笑)

と、、、ここでSDカードの容量がいっぱいに。
「え??そんなに?」
仕方ないのでひどくぶれたものや明るすぎたり暗すぎるものを数枚削除して境内へ。
◆室戸山 明星院 最御崎寺

最御崎寺の歴史・由来:
「修行の道場」とされる土佐最初の霊場。太平洋の白い波涛が吠えたてる室戸岬の突端にある。黒潮のしぶきにあらわれて鋭角になった黒い岩礁。そのすさまじい響き、空と海が一体となり襲いかかる洞窟の樹下で、藤衣を被って風雨を凌ぎ、虚空蔵求聞持法の修法に励む青年・空海がいた。延暦11年(792)、弘法大師19歳のころとされている。この詳細は、大師が24歳のときの撰述『三教指帰』に次のように記されている。
「…土州室戸崎に勤念す 谷響きを惜しまず 明星来影す 心に感ずるときは明星口に入り 虚空蔵光明照らし来たりて 菩薩の威を顕し 仏法の無二を現す…」

大同2年、唐から帰朝した翌年に大師は、勅命をうけてふたたび室戸岬を訪ねている。虚空蔵求聞持法を成就したこの地に、本尊とする虚空蔵菩薩像を彫造して本堂を建立、創した。嵯峨天皇をはじめ歴代天皇の尊信が厚く、また、足利幕府の時代には土佐の安国寺となり、戦国・江戸時代には武将、藩主などの寄進により、寺運は隆盛した。
当時は、真言密教の道場とされ女人禁制の寺であった。往時、女性の遍路は遙か室戸岬の先端から拝んだといわれるが、明治5年に解禁されている。室戸岬では東西に対峙している二十六番・金剛頂寺が「西寺」と呼ばれ、最御崎寺は「東寺」とも呼ばれており、納経帳等の寺名には東寺と記されている。南国情緒を味わう室戸阿南国定公園の中心にあり、大師が悟りの起源の地でもある。
※四国八十八ヶ所霊場公式HPより http://www.88shikokuhenro.jp/kochi/24hotsumisakiji/
撮っているとまたすぐ容量がいっぱいになる。
気になってSDカードの入っているところをあけたら!!!!
SDカードがない(汗)
あぁ~。。。実家のPCに画像を取り込んだ時に取り出したままだ。
ようするにコンデジ本体に画像を保存しているんだな。それじゃ大して撮れない。
撮りたいものを厳選して撮らないと。
でも、これだけは撮っておきたい。
「鐘石」

これは硬い斑レイ岩で、石でたたくと冥土まで届くという金属音がするんです。
毎回来るとついたたいてしまいます。(笑)

遊んでないで参拝だ!
2015年_年末帰省㉑(最終話)に続きます。

そのあと、帰京のための荷造りをして発送。
そんなことで、写真が昼以降ありません(笑)
ということで、帰省最終日です。
高知空港へ向かう道すがらいくつか四国八十八か所の札所があります。
その中で一番徳島県よりなのが室戸岬にある「第24番札所 最御崎寺」です。
徳島にいたころから幾度となく訪れており、年末の帰省で高知空港を利用の時は初詣に立ち寄ります。

長い坂道、両親の後ろを歩いていたら父が「前から(母と)2人で歩っきょん撮ってくれ」と。
慌てて二人の前に移動して撮るのですが。。。。

歩くスピードが速い(というか、お互いの距離がそんなに離れていない?)ので
ピントを合わせているうちにフレームアウトしてしまう。。。
「ちょっと~。ほんまに歩いたら撮れん」と私が言うと、何度かやり直し

仕切り直しますが、どうも自然じゃない。
で、歩きながらを撮るけれどぶれる・・・・ 結局父が「もうええわ!」とあきらめた(笑)

と、、、ここでSDカードの容量がいっぱいに。
「え??そんなに?」
仕方ないのでひどくぶれたものや明るすぎたり暗すぎるものを数枚削除して境内へ。
◆室戸山 明星院 最御崎寺

最御崎寺の歴史・由来:
「修行の道場」とされる土佐最初の霊場。太平洋の白い波涛が吠えたてる室戸岬の突端にある。黒潮のしぶきにあらわれて鋭角になった黒い岩礁。そのすさまじい響き、空と海が一体となり襲いかかる洞窟の樹下で、藤衣を被って風雨を凌ぎ、虚空蔵求聞持法の修法に励む青年・空海がいた。延暦11年(792)、弘法大師19歳のころとされている。この詳細は、大師が24歳のときの撰述『三教指帰』に次のように記されている。
「…土州室戸崎に勤念す 谷響きを惜しまず 明星来影す 心に感ずるときは明星口に入り 虚空蔵光明照らし来たりて 菩薩の威を顕し 仏法の無二を現す…」

大同2年、唐から帰朝した翌年に大師は、勅命をうけてふたたび室戸岬を訪ねている。虚空蔵求聞持法を成就したこの地に、本尊とする虚空蔵菩薩像を彫造して本堂を建立、創した。嵯峨天皇をはじめ歴代天皇の尊信が厚く、また、足利幕府の時代には土佐の安国寺となり、戦国・江戸時代には武将、藩主などの寄進により、寺運は隆盛した。
当時は、真言密教の道場とされ女人禁制の寺であった。往時、女性の遍路は遙か室戸岬の先端から拝んだといわれるが、明治5年に解禁されている。室戸岬では東西に対峙している二十六番・金剛頂寺が「西寺」と呼ばれ、最御崎寺は「東寺」とも呼ばれており、納経帳等の寺名には東寺と記されている。南国情緒を味わう室戸阿南国定公園の中心にあり、大師が悟りの起源の地でもある。
※四国八十八ヶ所霊場公式HPより http://www.88shikokuhenro.jp/kochi/24hotsumisakiji/
撮っているとまたすぐ容量がいっぱいになる。
気になってSDカードの入っているところをあけたら!!!!
SDカードがない(汗)
あぁ~。。。実家のPCに画像を取り込んだ時に取り出したままだ。
ようするにコンデジ本体に画像を保存しているんだな。それじゃ大して撮れない。
撮りたいものを厳選して撮らないと。
でも、これだけは撮っておきたい。
「鐘石」

これは硬い斑レイ岩で、石でたたくと冥土まで届くという金属音がするんです。
毎回来るとついたたいてしまいます。(笑)

遊んでないで参拝だ!
2015年_年末帰省㉑(最終話)に続きます。

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