1998-1999 イタリア留学③
※20年近く前の写真のネガを見つけたことをきっかけに当時を綴ります※
(記憶がすでにあいまいなので、思い違いしている部分もあるかもですが・・・・)
これからまだまだ続くのでカテゴリに「1998-1999 イタリア留学」を追加しました。
PCでご覧の場合は画面右側のカテゴリより「1998-1999 イタリア留学」をクリックすると、
1998-1999 イタリア留学の記事だけがソートされます。
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無事に大学の寮に入寮しました。
大学からは徒歩10分くらいだったかなぁ。もう記憶が定かでありません。
大学の施設も場所が当時とは変わったとか。私が住んでいた寮も今は寮ではなくなっていました。
(寮だった建物の現在は3年前のイタリア旅行記に記載http://4foglio.blog99.fc2.com/blog-entry-1402.html)
5~6階建てだったでしょうか。
古い石造りの建物で当然?エレベーターなんぞありません。
その4階か5階の2人部屋が割り当てられ、香港からの留学生「ピンキー」と同居になりました。
部屋は6畳ほどで二段ベッドがあり、二段ベッドの向かいに横並びに机が配置されていました。
机の間には背の高い本棚が挟まっていましたが、目の端にピンキーの姿が入るくらいの距離。
本当に狭かった。
それでも部屋にシャワーとトイレがついていたのでありがたかった。
何よりも部屋からの眺望には大満足。
(なぜかこの時のフィルムは白黒フィルムでした・・・・笑)
シエナの大聖堂と鐘楼が見えます。

カンポ広場の「マンジャの塔」も右手に見えるんです。

こんな素敵な景色を朝も昼も夜も、晴れの日も曇りの日も雨の日も見られるんです。
なんと贅沢な!
が、寮生活は不便なことのほうが多かったです。
まず、冷蔵庫は各階の共有スペースに小さなものが置かれているだけ。
(日本のホテルに備え付けているような)
名前を書いてあってもほかの人が食べてしまったりと、結構トラブルも多かった。
私は基本的に冷蔵庫は使いませんでした。
なぜならば!
40名ほど入寮しているのにキッチンは2口コンロが1つだけ。
自炊しようとするとコンロを使うのに順番待ちで、授業が終わってランチを作るのにコンロ待ちに1時間2時間と時間がかかるので、
昼も夜も一緒の1食のみ、山盛りのパスタ(手間のかからないオリーブオイルと鷹の爪、ニンニクだけのシンプルなパスタが多かった)だったので、冷蔵庫に保存するものがなかったのです。
同居していたピンキーは香港から炊飯器を持参していて、部屋で調理していましたが(笑)
時々、香港スイーツを炊飯器で作ってふるまってくれたりしました。
食生活は恵まれなかったけど、シエナの中心地だったので良しとするしかない。
◆カンポ広場で

めちゃ顔も体もパンパン、、(笑)
一緒に映っているのはクラスは違うんだけど、奈良からやってきたという女性。(名前忘れた・・・)
◆大聖堂の建物の一部だと思われる写真

どういうきっかけで知り合ったのか、すっかり忘れているのですが「ホテル住まいをしている」という日本人留学生のT君。
それは不経済だ!ということで大学の事務所に連れていき、どこか住むところを教えてほしいと尋ねたらその日のうちに
空き部屋のある家へ見学に。
大学からはかなり離れた場所にある家だったけど、T君はそこに住むことに決めた。
◆T君の下宿先にて

実はこのT君と1999年以来の再会を昨年果たし、彼から「自分の写った写真を焼き増ししてほしい」というリクエストがあり、
ネガを探すことになって、今この記事を書くことができているのである。
◆T君の下宿先のニャンコ

T君の家には2~3回はお邪魔していると思う。
すき焼きのたれを入手したので、すき焼きをやろう!ってことで集まったこともあったが、日本のすき焼き用の肉のように薄い肉がイタリアにはなくて探し回ったのを記憶している。
◆T君の下宿先の庭で

若い・・・・(笑)
1998-1999 イタリア留学④へ続きます。
※20年近く前の写真、画像も良くないしので人物にぼかしは入れていません※

(記憶がすでにあいまいなので、思い違いしている部分もあるかもですが・・・・)
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無事に大学の寮に入寮しました。
大学からは徒歩10分くらいだったかなぁ。もう記憶が定かでありません。
大学の施設も場所が当時とは変わったとか。私が住んでいた寮も今は寮ではなくなっていました。
(寮だった建物の現在は3年前のイタリア旅行記に記載http://4foglio.blog99.fc2.com/blog-entry-1402.html)
5~6階建てだったでしょうか。
古い石造りの建物で当然?エレベーターなんぞありません。
その4階か5階の2人部屋が割り当てられ、香港からの留学生「ピンキー」と同居になりました。
部屋は6畳ほどで二段ベッドがあり、二段ベッドの向かいに横並びに机が配置されていました。
机の間には背の高い本棚が挟まっていましたが、目の端にピンキーの姿が入るくらいの距離。
本当に狭かった。
それでも部屋にシャワーとトイレがついていたのでありがたかった。
何よりも部屋からの眺望には大満足。
(なぜかこの時のフィルムは白黒フィルムでした・・・・笑)
シエナの大聖堂と鐘楼が見えます。

カンポ広場の「マンジャの塔」も右手に見えるんです。

こんな素敵な景色を朝も昼も夜も、晴れの日も曇りの日も雨の日も見られるんです。
なんと贅沢な!
が、寮生活は不便なことのほうが多かったです。
まず、冷蔵庫は各階の共有スペースに小さなものが置かれているだけ。
(日本のホテルに備え付けているような)
名前を書いてあってもほかの人が食べてしまったりと、結構トラブルも多かった。
私は基本的に冷蔵庫は使いませんでした。
なぜならば!
40名ほど入寮しているのにキッチンは2口コンロが1つだけ。
自炊しようとするとコンロを使うのに順番待ちで、授業が終わってランチを作るのにコンロ待ちに1時間2時間と時間がかかるので、
昼も夜も一緒の1食のみ、山盛りのパスタ(手間のかからないオリーブオイルと鷹の爪、ニンニクだけのシンプルなパスタが多かった)だったので、冷蔵庫に保存するものがなかったのです。
同居していたピンキーは香港から炊飯器を持参していて、部屋で調理していましたが(笑)
時々、香港スイーツを炊飯器で作ってふるまってくれたりしました。
食生活は恵まれなかったけど、シエナの中心地だったので良しとするしかない。
◆カンポ広場で

めちゃ顔も体もパンパン、、(笑)
一緒に映っているのはクラスは違うんだけど、奈良からやってきたという女性。(名前忘れた・・・)
◆大聖堂の建物の一部だと思われる写真

どういうきっかけで知り合ったのか、すっかり忘れているのですが「ホテル住まいをしている」という日本人留学生のT君。
それは不経済だ!ということで大学の事務所に連れていき、どこか住むところを教えてほしいと尋ねたらその日のうちに
空き部屋のある家へ見学に。
大学からはかなり離れた場所にある家だったけど、T君はそこに住むことに決めた。
◆T君の下宿先にて

実はこのT君と1999年以来の再会を昨年果たし、彼から「自分の写った写真を焼き増ししてほしい」というリクエストがあり、
ネガを探すことになって、今この記事を書くことができているのである。
◆T君の下宿先のニャンコ

T君の家には2~3回はお邪魔していると思う。
すき焼きのたれを入手したので、すき焼きをやろう!ってことで集まったこともあったが、日本のすき焼き用の肉のように薄い肉がイタリアにはなくて探し回ったのを記憶している。
◆T君の下宿先の庭で

若い・・・・(笑)
1998-1999 イタリア留学④へ続きます。
※20年近く前の写真、画像も良くないしので人物にぼかしは入れていません※

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