1998-1999 イタリア留学⑪
※20年近く前の写真のネガを見つけたことをきっかけに当時を綴ります※
(記憶がすでにあいまいなので、思い違いしている部分もあるかもですが・・・・)
「1998-1999 イタリア留学」の記事はこちらで過去分が見られます。
☆1998-1999 イタリア留学記事/過去分
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髪型からしておそらく年の明けた1999年だと思われる写真。

2度の短期留学の時はフィレンツェに住んでいた。
フィレンツェでは美容師の専門学校に併設された美容院で、専門学校生による施術が安く受けられた。
パーマもかけたように記憶しているが、全く問題なかった。
だから、シエナで日本人の友だちおススメの美容院に行くことはまったく不安がなかった。
長い髪をカットはせず、ただウェーブにしてもらうだけだったし。
だがしかし!!!
私の説明が悪かった。電話のネジネジコードを指さして「あんな感じ」と言ってしまった。
仕上がったのは若き頃の鶴瓶師匠かクリスタルキングか!ってくらいのボンバーな頭(驚)
美容師さんは「どう?大満足でしょ?」と得意げだが、私はあまりの爆発度合いに微妙な表情。
美容師さんに「何が気に入らないの?」と怪訝な顔して言われるも、かなりのショック。
しかもお値段も留学生の私には驚きの値段だった。
(私に美容院を紹介してくれた彼女はセレブだったのを忘れてた・・・・)
そんなこんなの爆発頭(笑)
この後、数年はパーマをかけなくてもいいくらいのかかり具合でした。
で、そんな爆発頭で出かけたのは、

Lucca(ルッカ)の街。

Luccaといえば、2011年に再訪しましたのでこちらをご覧ください。
◆ルッカ大聖堂

ちょっと記憶があいまい・・・大聖堂の中?

◆サン・フレディアーノ教会

◆天使の教会「サン・ミケーレ・イン・フォロ教会」

ルッカの中心にあるサン・ミケーレ広場内に立地しており、その起源は明らかでないものの、8世紀末には原型が存在していたといわれ、現在の教会は1143年に建設を開始された。ファサードは前記大聖堂同様のルッカ様式であり、13世紀初頭に製作された。

この時はろくに下調べもせずにLuccaへ向かったので「塔のてっぺんに木の生えている【グイジーニの塔】」の存在は知りませんでした。(グイジーニの塔はこちら)
ただただ、街の中をぐるぐる。
ルッカは周囲4キロメートルあまりを城壁で囲まれた城塞都市で、城壁の外には用水路?がありました。

この時は単独だったのでお腹が減っても一人でレストランに入る勇気がなく、パン屋さんで焼き立てのパンを。
チーズ屋さんでチーズを数切れ買って、公園で食べたっけな。
食べるよりも何よりも、シエナを抜け出て知らない街をうろうろするのがとにかく開放的でした。

ショーウィンドウも見るのも面白いし。(これは薬局のショーウィンドウだな)

Luccaはトスカ等で知られる19世紀の作曲家ジャコモ・プッチーニの生誕地でもあり、旧市街にあるプッチーニの生家は、現在ではプッチーニ博物館となっていますが、プッチーニの像の写真を撮っただけで入りませんでした(笑)

◆アンフィテアトロ広場

市街の北部に位置するアンフィテアトロ広場(Piazza Anfiteatro)はローマ時代の円形闘技場の遺構を再利用した広場。周囲をアンフィテアトロ通りに囲まれた楕円形のエリアにあり、アリーナであった広場と、その外周(観客席の部分)にある住居で構成されるが、この時は広場の中の写真を撮っていないようで、写真がない。

1998-1999 イタリア留学⑫へ続きます。

(記憶がすでにあいまいなので、思い違いしている部分もあるかもですが・・・・)
「1998-1999 イタリア留学」の記事はこちらで過去分が見られます。
☆1998-1999 イタリア留学記事/過去分
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髪型からしておそらく年の明けた1999年だと思われる写真。

2度の短期留学の時はフィレンツェに住んでいた。
フィレンツェでは美容師の専門学校に併設された美容院で、専門学校生による施術が安く受けられた。
パーマもかけたように記憶しているが、全く問題なかった。
だから、シエナで日本人の友だちおススメの美容院に行くことはまったく不安がなかった。
長い髪をカットはせず、ただウェーブにしてもらうだけだったし。
だがしかし!!!
私の説明が悪かった。電話のネジネジコードを指さして「あんな感じ」と言ってしまった。
仕上がったのは若き頃の鶴瓶師匠かクリスタルキングか!ってくらいのボンバーな頭(驚)
美容師さんは「どう?大満足でしょ?」と得意げだが、私はあまりの爆発度合いに微妙な表情。
美容師さんに「何が気に入らないの?」と怪訝な顔して言われるも、かなりのショック。
しかもお値段も留学生の私には驚きの値段だった。
(私に美容院を紹介してくれた彼女はセレブだったのを忘れてた・・・・)
そんなこんなの爆発頭(笑)
この後、数年はパーマをかけなくてもいいくらいのかかり具合でした。
で、そんな爆発頭で出かけたのは、

Lucca(ルッカ)の街。

Luccaといえば、2011年に再訪しましたのでこちらをご覧ください。
◆ルッカ大聖堂

ちょっと記憶があいまい・・・大聖堂の中?

◆サン・フレディアーノ教会

◆天使の教会「サン・ミケーレ・イン・フォロ教会」

ルッカの中心にあるサン・ミケーレ広場内に立地しており、その起源は明らかでないものの、8世紀末には原型が存在していたといわれ、現在の教会は1143年に建設を開始された。ファサードは前記大聖堂同様のルッカ様式であり、13世紀初頭に製作された。

この時はろくに下調べもせずにLuccaへ向かったので「塔のてっぺんに木の生えている【グイジーニの塔】」の存在は知りませんでした。(グイジーニの塔はこちら)
ただただ、街の中をぐるぐる。
ルッカは周囲4キロメートルあまりを城壁で囲まれた城塞都市で、城壁の外には用水路?がありました。

この時は単独だったのでお腹が減っても一人でレストランに入る勇気がなく、パン屋さんで焼き立てのパンを。
チーズ屋さんでチーズを数切れ買って、公園で食べたっけな。
食べるよりも何よりも、シエナを抜け出て知らない街をうろうろするのがとにかく開放的でした。

ショーウィンドウも見るのも面白いし。(これは薬局のショーウィンドウだな)

Luccaはトスカ等で知られる19世紀の作曲家ジャコモ・プッチーニの生誕地でもあり、旧市街にあるプッチーニの生家は、現在ではプッチーニ博物館となっていますが、プッチーニの像の写真を撮っただけで入りませんでした(笑)

◆アンフィテアトロ広場

市街の北部に位置するアンフィテアトロ広場(Piazza Anfiteatro)はローマ時代の円形闘技場の遺構を再利用した広場。周囲をアンフィテアトロ通りに囲まれた楕円形のエリアにあり、アリーナであった広場と、その外周(観客席の部分)にある住居で構成されるが、この時は広場の中の写真を撮っていないようで、写真がない。

1998-1999 イタリア留学⑫へ続きます。

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