1998-1999 イタリア留学㉖
※20年近く前の写真のネガを見つけたことをきっかけに当時を綴ります※
(記憶がすでにあいまいなので、思い違いしている部分もあるかもですが・・・・)
「1998-1999 イタリア留学」の記事はこちらで過去分が見られます。
☆1998-1999 イタリア留学記事/過去分
----------------
ナポリで1泊、アマルフィで1泊の翌日~。
ソレントです。

ソレント?聞いたことある?
そう、「帰れソレントへ」のソレントです。
☆「帰れソレントへ」:
この曲は1902年9月15日にソレントを訪れた、
時の首相ジュゼッペ・ザナルデッリのために作曲された。
市長は賓客のための曲を、ジャンバッティスタ・デ・クルティス(作詞)と
エルネスト・デ・クルティス(作曲)の兄弟に要請した。
後の1961年にエルヴィス・プレスリーが「サレンダー」と言うタイトルで
英詞で歌ってアメリカでもNo.1を獲得するヒットとなった。
(ウィキペディアより引用)
ここも高級リゾート地。ここから「ソレントジェット」に乗れば青の洞窟のあるカプリ島へ行けます。
この時はいきませんでしたが。
いろんなお店の並ぶ通りを散策。

アマルフィからどうやってソレントへ移動したのかは、覚えていません(笑)
多分、バス?
ちょうど、昼食時でいろいろ店を見て回りましたが、やはりリゾート地は高い!
確か高いのは仕方ないので、適当にお店に入ってパスタ1皿を食べたように思います。
海もきれい。

この日は移動日でこの後、M子さんの住んでいるモンテプルチアーノまで行きます。

だからソレントは昼食をとって少しだけ散策。

ソレント駅へ向かいます。

駅前はパスクア(イースター)の飾り付け。

ヴェスヴィオ周遊鉄道でソレントからナポリへ移動です。

☆「ヴェスヴィオ周遊鉄道(Circumvesuviana鉄道)」:
1890年から存在するイタリアの交通会社である。
現在、ナポリ県とアヴェッリーノ県の一部(アヴェッラとバイアーノ)、
サレルノ県のスカファーティとサン・ヴァレンティーノ・トーリオ、サルノで営業している。
日本語ガイドブックなどでは、「ベスビオ周遊鉄道」等とも記述されている。
(ウィキペディアより引用)
1998-1999 イタリア留学㉗へ続きます。

(記憶がすでにあいまいなので、思い違いしている部分もあるかもですが・・・・)
「1998-1999 イタリア留学」の記事はこちらで過去分が見られます。
☆1998-1999 イタリア留学記事/過去分
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ナポリで1泊、アマルフィで1泊の翌日~。
ソレントです。

ソレント?聞いたことある?
そう、「帰れソレントへ」のソレントです。
☆「帰れソレントへ」:
この曲は1902年9月15日にソレントを訪れた、
時の首相ジュゼッペ・ザナルデッリのために作曲された。
市長は賓客のための曲を、ジャンバッティスタ・デ・クルティス(作詞)と
エルネスト・デ・クルティス(作曲)の兄弟に要請した。
後の1961年にエルヴィス・プレスリーが「サレンダー」と言うタイトルで
英詞で歌ってアメリカでもNo.1を獲得するヒットとなった。
(ウィキペディアより引用)
ここも高級リゾート地。ここから「ソレントジェット」に乗れば青の洞窟のあるカプリ島へ行けます。
この時はいきませんでしたが。
いろんなお店の並ぶ通りを散策。

アマルフィからどうやってソレントへ移動したのかは、覚えていません(笑)
多分、バス?
ちょうど、昼食時でいろいろ店を見て回りましたが、やはりリゾート地は高い!
確か高いのは仕方ないので、適当にお店に入ってパスタ1皿を食べたように思います。
海もきれい。

この日は移動日でこの後、M子さんの住んでいるモンテプルチアーノまで行きます。

だからソレントは昼食をとって少しだけ散策。

ソレント駅へ向かいます。

駅前はパスクア(イースター)の飾り付け。

ヴェスヴィオ周遊鉄道でソレントからナポリへ移動です。

☆「ヴェスヴィオ周遊鉄道(Circumvesuviana鉄道)」:
1890年から存在するイタリアの交通会社である。
現在、ナポリ県とアヴェッリーノ県の一部(アヴェッラとバイアーノ)、
サレルノ県のスカファーティとサン・ヴァレンティーノ・トーリオ、サルノで営業している。
日本語ガイドブックなどでは、「ベスビオ周遊鉄道」等とも記述されている。
(ウィキペディアより引用)
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