2016年 秋の京都③
申年もあと数週間。

早いなぁ。
清水寺本堂の奥、縁結びの神様「地主神社」あり。

が、いつもスルー(笑
確か訪れたのは高校時代にいとこと3人で日帰り京都旅をしたときかな。
で、今回も縁結びはスルーして先へ歩くと、初めて気づいた。。。。
「百体地蔵堂」

◇「百体地蔵堂」:釈迦堂と阿弥陀堂の間の奥に建つお堂。子供を亡くした親たちが、我が子に似た地蔵を探し、信仰を篤くされているといわれています。普段は静かなたたずまいですが、夏の地蔵盆会では賑わいを見せます。
何度も来ている清水寺なのに今の今まで気づかないとは(汗
調べてみると清水寺には「清水寺の七不思議」があるそうなのですが、知っているのはそのうちの3つほどでした。
(清水寺の七不思議 : http://kiyomizufusigi.dayuh.net/kiyomizunanafusigi.html)
なんということでしょう。次回訪れたときは全部確認したいと思います!
それにしてもたくさんの参拝客。

あの清水の舞台にどれだけの人がこれまでに来たのだろう。
耐荷重ってどのくらいなんだろう。

子安塔へ。

修学旅行の男子学生が自撮り棒で記念撮影している光景がほのぼのします。

子安塔を背に清水寺本堂を望む。

もう1週間早ければなぁ。

十分きれいだけど、やっぱり盛りを過ぎた感じ。

「音羽の滝」は長蛇の列なので、いつもパス。

◇「音羽の滝」:清水寺の開創の起源であり、寺名の由来となったのがこの瀧です。こんこんと流れ出る清水は古来「黄金水」「延命水」と呼ばれ、清めの水として尊ばれてきました。
3筋に分かれて落ちる清水を柄杓に汲み、六根清浄、所願成就を祈願するため、連日、行列ができるほどの人気の場所ですが、元は瀧行の場。開基行叡居士(ぎょうえいこじ)、開山延鎮上人(えんちんしょうにん)の伝統を守り、現在も水垢離が行われています。
清水の舞台の脚。

寛永6年(1629)、9月10日の大火災によって建物のほとんどが全焼したものの、徳川家光の寄進によって、わずか数年のうちに再建された清水寺。その寛永期の再建に修理を重ねてきた姿を今現在私たちが見ているということなので、すでに400年近い長い時間、風雨にさらされてきた清水の舞台。こうしてみるとやはり傷んでいるなぁ。
そろそろお腹が空いてきたので、予約しているお店へ。
清水寺への参道は来るときに増して人・人・人です。

2016年 秋の京都④へ続きます。
【清水寺HP】http://www.kiyomizudera.or.jp/index.html

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お願い事なりますが本ブログ掲載の写真は著作権を放棄しておりません。
無断での転載、トリミングでコピーライトを削除しての二次活用はお断りいたします。
(今後、販売予定またはコンテストなどに応募の可能性があるため)
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早いなぁ。
清水寺本堂の奥、縁結びの神様「地主神社」あり。

が、いつもスルー(笑
確か訪れたのは高校時代にいとこと3人で日帰り京都旅をしたときかな。
で、今回も縁結びはスルーして先へ歩くと、初めて気づいた。。。。
「百体地蔵堂」

◇「百体地蔵堂」:釈迦堂と阿弥陀堂の間の奥に建つお堂。子供を亡くした親たちが、我が子に似た地蔵を探し、信仰を篤くされているといわれています。普段は静かなたたずまいですが、夏の地蔵盆会では賑わいを見せます。
何度も来ている清水寺なのに今の今まで気づかないとは(汗
調べてみると清水寺には「清水寺の七不思議」があるそうなのですが、知っているのはそのうちの3つほどでした。
(清水寺の七不思議 : http://kiyomizufusigi.dayuh.net/kiyomizunanafusigi.html)
なんということでしょう。次回訪れたときは全部確認したいと思います!
それにしてもたくさんの参拝客。

あの清水の舞台にどれだけの人がこれまでに来たのだろう。
耐荷重ってどのくらいなんだろう。

子安塔へ。

修学旅行の男子学生が自撮り棒で記念撮影している光景がほのぼのします。

子安塔を背に清水寺本堂を望む。

もう1週間早ければなぁ。

十分きれいだけど、やっぱり盛りを過ぎた感じ。

「音羽の滝」は長蛇の列なので、いつもパス。

◇「音羽の滝」:清水寺の開創の起源であり、寺名の由来となったのがこの瀧です。こんこんと流れ出る清水は古来「黄金水」「延命水」と呼ばれ、清めの水として尊ばれてきました。
3筋に分かれて落ちる清水を柄杓に汲み、六根清浄、所願成就を祈願するため、連日、行列ができるほどの人気の場所ですが、元は瀧行の場。開基行叡居士(ぎょうえいこじ)、開山延鎮上人(えんちんしょうにん)の伝統を守り、現在も水垢離が行われています。
清水の舞台の脚。

寛永6年(1629)、9月10日の大火災によって建物のほとんどが全焼したものの、徳川家光の寄進によって、わずか数年のうちに再建された清水寺。その寛永期の再建に修理を重ねてきた姿を今現在私たちが見ているということなので、すでに400年近い長い時間、風雨にさらされてきた清水の舞台。こうしてみるとやはり傷んでいるなぁ。
そろそろお腹が空いてきたので、予約しているお店へ。
清水寺への参道は来るときに増して人・人・人です。

2016年 秋の京都④へ続きます。
【清水寺HP】http://www.kiyomizudera.or.jp/index.html

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